石原知事記者会見

平成24年10月31日更新

石原知事定例記者会見録

石原知事定例記者会見
2012年10月26日(金曜)
15時10分〜15時30分

知事冒頭発言

25日の辞職会見後の動きなどについて

【知事】昨日からまた今日まで、いろいろなことがありましてね。あの後、新党の母体にもなるだろう、たちあがれ日本の議員諸君と会ったんだけども。やっぱり永田町にいる人間って、頭が狭いというか、視野が狭いというかね。
 「橋下君なんかと一緒に本当の連合をするのはいかがなものか」とか、いろいろどういうわけでそれに反対なんだって言ったら、「政策のここが違う」とか「あそこが違う」とかね、それから、「大連合なんてことになったら、渡辺喜美君のみんなの党と一緒になるのは絶対嫌だ」とかね。それから渡辺君も何かどこかで「政策がこれほど違うのはおかしいじゃないか」とかね。そんなことじゃないんだね。
 大眼目というのは、国家の官僚のこうやって硬直した日本支配というのを壊すということなんですよ。つまり、何というのか、維新というのはそれじゃないと維新にならないんでね。原発をどうするとか、何をどうするとか、消費税どうする、そんなものは、これからの先のある意味じゃ大事な問題かもしれないけど些細な問題なんでね、こういった問題をやっぱり、今日のような混乱におとしめた理由というのも、結局、日本の硬直した官僚、発想のない、柔軟性のない国家の官僚がこの国支配してきたでしょう。つまり、支配されてきた、政治家も支配されたということは、その政治家を選んだ国民も支配されてきたことなんだから。だからもうちょっと大きな視野で考えなさいと言ったんだ。

 でね、例えば明治維新考えてみると、倒幕して、勤皇か何か知らないけども天皇をトップにした新しい官僚制ができたわけだけども、昨日の記者会見で申しましたけども、廃藩置県で代わりに47道府県をつくって、そこの県令、県知事というのを全部、中央の役人が行ったわけで、それが続いてるわけでしょう。結局そういう、何というのかな、非常に硬直した、柔軟性のない、発想力のない官僚の支配というものがね。

 それは、あるところまでは日本の近代化というのは官僚の仕事で成功したと思いますよ。それを実際にやったのは本当の、何ていうのか、根源の成功者というのは大久保利通だと私は思いますよ。
 この人は偉大だったけど、じゃあ、それがつくった官僚はそれほど偉大だったかといえば、これはある時期は立派な官僚を生んだ。例えば、政治家になった人達もいる。岸信介もそうだし、賀屋興宣もそうだし、あるいは椎名悦三郎とか、立派な人いましたよ、政治家になった人でも。
 これ、なぜやっぱり偉大だったか、軍という絶対のテーゼに彼ら反抗して、官僚なりの合理性を通そうとしたから、前に言ったかも知らんけど、賀屋さんなんかは大蔵大臣を若くして務めながら、ロンドンの軍縮会議で山本五十六にぶん殴られるんですよ。ホテルでね。そういう目にあった人達が、つまり、絶対のテーゼだった軍に反抗することで合理性磨いてきたんだけども、今日の官僚は、彼ら自身が今度、絶対テーゼになっちゃったわけだ。それが、何回も言ってきたみたいに、我々の特質というのは継続性と一貫性だ、コンティニュイティとコンシステンシーだ。そんな、変化の時代に、継続性、一貫性で通されたら何にも物事の本質ってのは変わってこない。

 だから今日、この体たらくになったので、それを壊すということが本当の維新なんじゃないのか。そのために、君ら自民党に飽き足らずに出た人達が新党もつくったんだけど、それで力及ばないから今日のこの形になった。そこへ橋下君が声上げてだね、彼だって私と同じように、大事な大阪という地方の自治体というのを預かって、そこでいろんな試みをしようとすると、あらゆる形でいろんな国家の官僚のつくったバリアーが出てくる、障害が出てくる。これでやっぱり彼は本当に苦心惨たんしてきたし、こっちも苦心惨たんしてきましたよ。
 それで、実現したのもあるし、できなかったものもあるけど、だからそれをやるために私達はものをやるのであって、私もそのために知事を辞めるんで、それに呼応してあなたたちが新党云々というんだったら、何で大連合を考えないんですかと。それが反対だったら、私、1人でやるよと、昨日言ったんだ。

 だって薩長、薩長と言うけど、薩長というのはかつて戦争したんですよ、これ、互いに。それに佐賀とか土佐藩がついてきた。これ、皆それぞれ藩主の考え方も違ったけど、結局、彼らの一番の共通項が幕府を倒して新しい近代的な国家をつくる、そのための政府をつくるということで大連合があったのでね、そういう歴史というのを振り返ってみて、ここの政策が違うとか違わないとか、あいつと一緒には嫌だとか、君ら永田町の問題であって、俺は関係ないって言ったんだ。
 でね、それを合意してくれないんだったら、私、1人でもやりますと言ったんですがね。言葉が激しかったかもしれないけども。

 だから、とにかく渡辺君とも話したらいいし、橋下君とも話したらいいと。人間が理解し合うというのは、やっぱり一杯飲みながらでも結構だ、膝つき合わせて話をすること、フェイス・トゥー・フェイスでね。それをね、相手の書いたもの、こっちが書いたものを比べて、ここが違う、あそこが違うといったって、そんなもので大きな連合、連帯、できるわけないだろうと。だからもうちょっと、何というのかな、目を開いて、もっと大きなものを見て考えてくれよと言いました。

 それと、その後、私、昔の年来の友人だから、間に立った園田君も心配したので、直前に「石原さん、亀井さんに話をしてください」と言うから亀井君に電話をしたらね、私、昨日、前日ですか、彼と会うつもりでしたんですけど、急遽福島の原発を見れることになったので福島に行きまして、時間遅れて電話で話したんで、だったら、亀井君が、じかに1回会って話ましょうと言うので昨日会いました。そしたら、彼はその後記者会見して、何だか仄聞すると「石原が協力要請したけども断った」と言うけど、そんなことは言ってない。
 でね、「君と俺との仲なんだから、これから選挙が終わった後、また合一性があったときに一緒にやろうじゃないか」と言ったら、彼はとうとうと面白いことを言ったね。
 何かね、新しい運動があって、彼もそれに加担し、共鳴し、力入れしてるらしいんだけども、菅原文太さん、俳優の。あの人が自然農業というものに力を入れて、それで、それに呼応して、何かその要するに、賛成する主に農村の村長さん達が連帯をつくって、近々、何かどこかで旗揚げするんだって。新しい組織つくって。で、その連中達は本気で日本のことを考え、農業のことを考える。農業を通じて日本のことを考える。
 それから、それに比叡山だか高野山だかちょっと忘れたけども、そこの何か阿闍梨(あじゃり)というか坊さんなんだが、私、日本の坊主なんか全然信用しとらんけどね、その坊さんも肩入れして、とにかくそういう動きになるから、日本の精神というものを取り戻そうと、そういう動きがあって、11月かそこらに何かどこかで旗揚げして集会開くんだって。
 ですから、そこへ来い来い、云々あったけど、いや、そこは私は別に門外漢、初めて聞いたから行きませんが、「そういう動きがあるんだったら、そのリーダーたちにもいつか会わせてくれよ」といったら、「あ、いつか会わせましょう」ということだった。それだけのことです。彼が何考えてるかよく分かんなかった。彼、長広舌、30分ぐらい1人でしゃべったけども。
 その後、出てきたら記者がたくさんいて、私の話はもうとっくに聞いたんで、亀井君に群がってですね、何か亀井君は胸張って話をしたけども、私は、彼に一緒にやろうとも言ってないし。やがてはとにかく一緒に力合わせてやろうじゃないかと言いましたよ。だけど、彼はうんともすんとも言わなかった。結構だと言ったと思うんだけどね。
 ただ、その代わりにもっと大きなものを考えて、ものをやんなきゃだめだということで、その菅原文太君なんかがやってる、その自然農法というのかな、それを通じての、郷土愛を通じての商工会というんでしょうかね、そういうものを組み込んでやらなかったら駄目というから、それは全然やぶさかじゃないから、いつかそのリーダーたちに会わせてくれと言いました。それだけの話であります。
 これはちょっと誤解があってはいけないので、その報告を兼ねていいますがね、とにかくに、永田町にいると、あいつはこう言った、言わないとかね、政策がどうだと、人が書いたもの、自分の書いたものを読んだり読まなかったりして、そこで話したってしようがないんだ。

 それから、私も忌憚ないことを橋下君に言ってきましたよ。例えば彼は、自分の組織に属する国会議員は一切企業の献金を受けない。これ、なかなか厳しい条件だと思うね。それを皆がどこまで履行するかしないかは別にして、基本的にはそれは結構なことだと思うし、私自身はあんまりその経験がないからあれですがね。ただ、そのとき言ったのはね、じゃ、民主党の場合もそうだけども、労働組合が、組合の献金をそのまま政党の援助に充ててるっていうのは、これ、おかしいんじゃないか。だったらやっぱり組合の会計監査も外部から入れてだね、組合の選挙に対する献金っていうのを禁止したらどうなんだって言ったら、「あ、それは私は考えていることにございません。それも考えましょう」と言うから、そういうことにすればだね、非常に公平なことになるし、規律になると思うけどね、そんな話も、やっぱり実際に会って話をしないと、そういう交流っていうのはないんですよ。

 互いに書いたものを眺めて比べて、ここが違うあそこが違うって、それで俺は一緒になるのは嫌だって言ったってね。渡辺喜美君って、自民党に飽き足りないから出たんでしょう。私だって、自民党に愛想を尽かしたから何十年前に自民党を離れた人間だ。それをお互いに、喜美君もみんなの党をつくり、今度、橋下君に呼応してだね、日本を基本的に変えろ、変えようと言ってるんだったら、何かのアイデンティティーがあるから、一番基本的なことに一緒に力貸し合ったらいいじゃないですか。渡辺君にも、私は近々会って、その話をしたいと思いますよ。彼は会ってくれるか、くれないか分かりませんがね。ということです。
 どうぞ。

質疑応答

【記者】今のお話を伺っただけでも、これから先、難問山積。

【知事】そうですなあ。

【記者】ただ、13年半前も、東京都知事になられたときも、難問が山積していました。あっという間の13年半と思われるかもしれませんが、その間に東京という国際都市、観光都市を、空が、青空が見えるようなきれいな空にし、そして三宅島の2000年の噴火災害、自然災害、こうしたことも乗り越え、で、はるか2000キロの東京都であります沖ノ鳥島、こうしたところもご一緒させていただいたり、いろんなことがありましたけれども、今、やっぱり考えてみて、都政で、やはりこれが大きな問題がまだ残っている、それから、後を継いでくれる人間には、これをきちんとやってほしいというようなことも、やっぱり国政とはまた別にお思いがおありかと思うんで、この辺をちょっとお願いします。

【知事】それは、前にもちょっと申し上げたと思うけど、私が知事になったときに、中曽根さんから非常にサジェスティブな、ためになるアドバイスを箇条書きでもらいました。小さな紙に書いてありましたがね、私、今でも自分の書斎の横の壁に、それ、貼ってありますけどね。具体的なこと、抽象的なこと、それから、やっぱり知事としてのビヘイビアー(ふるまい)というものを、やっぱり心がけて、つまり、何ていうのかな、レーガンのように自分の言葉でしゃべって、要するに、分かりやすく物を言えということも言われました。

 でね、その中に1つ、私がとても手がけたいと思ったけど、できなかったことがあるんだ。それは、これだけは心残りですけど、中曽根さんが言ったのは、教育の破壊的改革をやってくれと。これはできませんでしたね。やっぱり教育長が都の高級官僚の天下り先である限り、結局、役人の限界を出ないんだ。それから、これもやっぱりそうですけども、それは昨日も申し上げたと思うんだけども、文部省が全体の教育の指針を牛耳っててね、例えば、ゆとり教育なんて馬鹿なことを始めて、たちまち日本の子供の学力が低下した。で、心ある学校は、無視して土曜日の授業も始めた。私立は全く無視して、今までどおりやってました。
 そういうものを変えようと思うと、橋下君も大阪でその経験をして言ってたけども、やっぱり文部省というものの、何か絶対的な何か知らんけどくだらない権威が事を構えてて、地方の実情に合わせた教育の改革がとてもできないんですよ。

 これはね、地方の特色を生かす教育っていうのは、どういうことであるか分からんけども、とにかく日本の教育そのものは、私は沈滞したし、不合理だと思うから、東京が唯一やれたことはね、今の子供たちは、自分のお父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんが戦った六十数年前の太平洋戦争について知らない、大学生が。大学生が知らないんですよ。
 これはやっぱりおかしな話でね、自分のじいさん、ばあさん、ひいじいさん、ひいばあさんが何をしたかっていうことを、日本の近代史として、できれば明治以来の歴史、日本の、世界の人類の中で有色人種が唯一つくった、それゆえに白人に迫害されたこの日本の近代史というものを、私達はやっぱり知るべきだと思うし、それをどう評価するかしないかってことは自分達で考えたらいい。
 ただ、やっぱり、近代史の事実を知らない。つまり67年前に終わった、太平洋戦争があったってことも知らない大学生を生むような教育っていうのは、これはどこか狂ってると思う。
 だから、東京では、ある識者たちに頼んで、近代史と現代史の教科書をつくって必須科目にしました。でも、まだまだそんなことじゃとても及ばないですな。ということが心残りです。はい。

【記者】今、最初におっしゃられた、たった1人でもやるぞというお話がありました。知事は、長い間、1人は皆のために、皆は1人のために、やっぱりこういった協力体制というか、手を差し伸べ合うと。これで、これからやっぱり進めていかれるところで、うまく行きそうですか。

【知事】いや、それはね、言ってることは、私1人でやるわけじゃなくて、既存の国会議員がそういう論拠で俺たちは一緒にやらないと言うんだったらね、私は要するに、もちろん、橋下君とやるつもりですよ。だけど、それに共鳴してくれる政治家、既存の、議席持ってなくても、これからそれで、そういうことで国政をやろうという人間が何人かいたらですね、その相手が2人でも3人でもいいから、その人間達とやりますよ。そのつもりでいます。
 はい。どうぞ。

【記者】尖閣をめぐる寄付金の金額を見てもわかりますように、人々の支持が非常に高い一方で、昨日の都知事の国政復帰宣言で、本日の新聞などでは、右傾化が加速しそうだとか、日中対立の引き金を引いたなどとの海外のニュースが伝えられております。こうした報道について、実際のところ、都知事はどう感じておられるのか、是非教えてください。

【知事】いや、そんなものを気にしたら、何もできないんじゃないですかね。日中の対立激化といったって、もともとずっと陰に陽に対立してたんじゃないですか。トウ小平の時代だって、尖閣の問題を誰がどう持ち出したか知らんが、トウ小平が「あんなものは厄介な問題だから後世の人間の知恵に預けようじゃないか」といったらたちまち、何か日本が迎合して、棚上げにすることにした。そのことが間違いだと私は思ったし、私は反対してきましたよ。だから青嵐会の仲間と拠金して灯台もつくったし、その後、青年社がつくったりしましたがね、いずれにしろ、とにかく私、この2月になって人民日報が、あそこは核心的国益なのでこれを取り戻すために我々はもっと果敢な行動を取ると言って、そのための機材もつくると言って、その前年にはですな、とにかく、あのわけの分からない船が保安庁の船に衝突してきた。

 実は私、その前に、皆さんに申し上げたかも知らんけど、東京に眠っている中小企業のベンチャーテクノロジーを、国が馬鹿だから商品化できないなら、日本の社会では通用しないかも知らんけど中国では十分通用するような技術もあるので、ファンドをつくって一緒になって商品化して、おたくの国のために役に立てたらどうですかと言ったら、ある有名な政治家の、亡き(中国の)政治家のお嬢さんがそれに乗ってきてね。私は北京市と話してもしようがないから、政府と直に話すると言って、向こうのナンバー4っていうけど、そのときの通産大臣、日本で言うとね。それと話をするつもりだったけど、その直前に、シナもずいぶん喜んで私の大特集をやってくれましたよ。
 ところが今じゃ、私は何か知らんが日中間の毒素の1人になってるみたいだけど。あの事件が起こったんで私は、ばさっと切って、それきりにしましたが。まあとにかく厄介な国だね。
 どうぞ。

【記者】先ほど、大連合で中央集権国家を変えるという大きなビジョンをお話しされましたけれども、橋下さんの維新の会との連携について、例えば、選挙を見据えての、西の橋下、東の石原新党というような、選挙協力などのビジョンは持っていらっしゃるんでしょうか。

【知事】いや、もちろんそうです。そんなことじゃなくてね、東の日本とか、私とか、西の何とかじゃなくてね、象徴的に平沼君、それを言ったら、政治家のすみ分けがおかしいって彼、反論したけども、そういうつもりで言ったんじゃないんですよね。
 だって、私の仲間であった、で、あると思うけど、これからも。平沼君だって岡山の人ですよ。幹事長の園田君は九州の人間で、それから、そうだな、中山夫妻だってそうだし、藤井君だって岐阜の人間でしょう。関東じゃないんだよね。
 でも、そういうところの人達がやっぱり、どういうつもりか知らんけどね、とにかく新しい党をつくって日本を変えようと思って、彼らも自民党に飽きて出た。せっかくのチャンスに同じことを唱えて言っている橋下君とここが違う、あそこが違う。まあね、昨日も、かつてある総務省の次官までやったのかな、片山君が来て言うから、「君、そういうことを言うな」と。「それ、役人の悪いところで、文字の問題じゃないんだ」と。「もっと大きなことを考えない君らがいるから、俺は君を含めて、中山さんもいるけど、君らが知らないうちに、この国を変えようと思っているんだよ」って言ったら、苦笑いしてたけどね、そういうのをフェイス・トゥー・フェイスで話すことで、やっぱり、友情も出てくるし、本当の人間関係が出てくるんじゃないんでしょうか。と思います。

【記者】大きなことを考えていく上で、また近々、渡辺喜美さんと話したいとおっしゃってましたけれども。

【知事】そうですよ。

【記者】選挙協力というのも視野に入れて、やっぱりお話しされるんでしょうか。

【知事】選挙協力というかね、一緒にやったらいいんだよ、選挙は皆で、新しい大連合をつくって。そうじゃないですか。維新だって、それで初めてできたんじゃないの。僕はやっぱり、日本の歴史って、そういう点で、非常にいい教科書になってると思いますよ。
 まあね、「何とかの維新」っていうのを唱えるなら、私はやっぱり日本にとっての最近の維新、大化の改新もあったけど、明治維新ってものがどういう構造で進んでいったかということを思い直して勉強するのが、祖先に対する敬意だと思うし、それは本当の教養だと思うし。永田町界隈のサイクルでここが違うあそこが違うって、そんなものは一緒になって選挙の結果、成功したらすり合わせていけばいいことでね。自民党の中だって、民主党の中だって、どの政党の中だって、異論を唱える人がいるんだ。また、それがあるから、やっぱり、党内の議論も進んでくるのでね、それをブラッシュアップすることで、いい案が出てくるんじゃないんでしょうかね。
 僕ね、ちょっとね、約束があるんで、これで失敬します。

(テキスト版文責 知事本局政策部政策課)