石原知事と議論する会

平成16年4月2日更新

「スポーツ振興と子どもの教育・しつけ」
平成15年度第3回「〜東京ビッグトーク〜石原知事と議論する会」議事概要


テーマ  「スポーツ振興と子どもの教育・しつけ」

日時  平成16年2月16日(月)14時から15時30分まで

場所  東京都庁大会議場(都庁第一本庁舎5階)

参加者

写真:石原知事と議論する会の様子(出席者)
石原 慎太郎 都知事

コメンテーター
 内館 牧子 さん(脚本家、横綱審議委員会委員)
 川淵 三郎 さん((財)日本サッカー協会 キャプテン)
 松岡 修造 さん(プロテニスプレーヤー)

コーディネーター
 白石 真澄 さん(東洋大学助教授)

公募都民 630人(うち発言者4人)

発言要旨

 以下は、出席者の発言要旨を生活文化局広報広聴部で要約し、取りまとめたものです。

○白石さん(コーディネーター)
 「スポーツ振興と子どもの教育・しつけ」をテーマに会を始めます。
 知事は、テニスやスキューバダイビング、ヨットなど、若い時からスポーツを楽しまれていますが。

○石原知事
 人生における一番大事な、人間が生き抜くための要因、「こらえ性」を培うのにスポーツほどいいものはない。次代を担う子どもたちにきちんと育ってもらうことが必要で、人生に対する子どもたちの姿勢を培うために、今日はすばらしい講師の話をじっくり聞きたい。

○白石さん(コーディネーター
 内館さんは大相撲ファンとしても有名ですが、ご自身とスポーツの関わりは。

○内館さん(コメンテーター)
 小さい頃から、相撲、プロレス、ボクシングの中にどっぷり浸かっていた。中学・高校は水泳部、大学ではラグビー部のマネージャー、社会人になってからは、ずっとヨット部で、470(ヨンナナマル)というクラスのヨットに乗っていた。水泳もヨットも、何をやっても三流半だったが、自分の中で三流半から三流に、三流から二流半になれるに違いないと思い、必死にやったことは、今も私の中でかなり大きな核になっている。

○白石さん(コーディネーター)
 川淵キャプテン、今日のテーマについてどのようにお考えか。

○川淵さん(コメンテーター)
 今の子どもたちは、身体機能として未発達の子どもが多いと言われている。これは、子どもたちが外に出て遊ばなくなった結果、大脳や神経系統が刺激を受けず、脳の運動プログラムへの組み入れが未発達のまま成長しているためだ。外に出て遊び回る、取っ組み合いをする、かけっこをするなど、昔のように年長者と一緒に遊ぶことで必死になり、全力で走るという場面が全く減っている。
 われわれ大人がそういう環境を子どもたちに与えようと、今、日本サッカー協会ではアンダーシックス(U−6)というプログラムをつくり、みんなでスポーツを楽しむ機会を多く持つために、幼稚園児へのアプローチを始めている。

○白石さん(コーディネーター)
 それは、早ければ早いほうがよいのですか。

○川淵さん(コメンテーター)
 大脳や神経系統の発達には臨界期があり、6歳から8歳の間にそこを刺激しないとバランス感覚の調節機能が失われることがある。「気をつけ」の姿勢ができない中学生が多いと聞くが、小さい時にそういうところを刺激していないからで、スポーツをするというより、もっと遊ばないとだめだ。21世紀はもっと外に出て遊ぶ時代にしなければと思っている。

○白石さん(コーディネーター)
 松岡さんはプロテニスプレーヤーとして非常に有名で、さらに最近では、ジュニアの育成とテニス界の発展を目的とした「修造チャレンジ」を設立している。スポーツは子どもの健全な発達や育成にどのような効果があるとお考えか。

○松岡さん(コメンテーター)
 テニスコートが人生教育の場で、そこで育てられた経験を活かして、世界のトップ選手になりたいと夢見ている選手のサポートと4歳 (ジュニア) からスポーツを楽しんでもらうために全国的に活動しているのが、「修造チャレンジ」です。
 その中で一番感じるのは、子どもたちに元気がない、自信がないことだ。自立心、決断力、大切な表現力がないような気がする。
 私は、柳川高校というテニスの名門校で、スパルタ教育を受けたが、言われたことだけをやっているだけで、肉体的にはきつかったが、精神的にはきつくなかった。
 アメリカに行ったときは、環境を与えられ、コーチからアドバイスをもらい、それを自分で考えて評価し、最終的には表現する力が必要となり、大変だった。
 今、子どもたちには自立させる、決断力を持たせる、最終的には自信を持たせるような環境づくりを目指して頑張っている。

○石原知事
 ノーベル賞受賞者に動物行動学で有名なコンラッド・ローレンツという人がいる。この人が、子どもの時に肉体的な苦痛、つまり、我慢するという経験を味わうことなしに過ごした人間は脳幹が発達せず、成長して非常に不幸な人間になると言っている。この肉体的苦痛というのは、いじめられるとか殴られるということではなく、物事に対するこらえ性、つまり、我慢するという経験を強いられたことのない人間はだめだと。ローレンツは、これをトレランス(こらえ性)と言っている。
 この頃の若い人は本当にだめですね。私は、今でもヨットをやっているが、最近は、危険な水域でのレースに若いクルーが集まらない。やるとなると、みんな私ぐらいの年齢のじじいばっかりで、本当に情けなくなる。
 また、マラソンの高橋尚子さんを育てた小出さんは、監督というのは絶対選手の自主性を重んじたらだめだ。ましてや育ち盛りの子どもは徹底的にしごかなければだめだ、子どもの自主性なんて絶対信じてはだめで、大人がガミガミ言って、周りがはらはらするぐらいしごいてやることが実は慈悲だということを言っていました。

○白石さん(コーディネーター)
 内館さん、大相撲の世界でも根性とか辛抱と言われますが。

○内館さん(コメンテーター)
 私は、2月から相撲教習所で、新弟子たちと一緒に授業を受けている。そこでは新弟子たちが、自主性は一切尊ばないからそのつもりで、ということで、礼儀作法から何から徹底して教え込まれている。
 今、世の中は、真っ当な競争原理を排除してきた弊害が出てきている。社会というところは競争を強いられるところで、その中でいかに生きていくかということを、学校生活、スポーツを通じて教えるべきだと実感している。

○白石さん(コーディネーター)
 ラグビーなどは危険、ヨットは疲れて大変だからと敬遠する半面、スポーツをファッションとして捉えている子どもたちもいるのではないか。

○松岡さん(コメンテーター)
 ファッションという形ではスポーツを取り入れていないと思う。子どもたちは情報過多でものすごく迷っている。その中で、親もコーチも全部道をつくり、失敗をさせないような状況をつくっている。ミスをさせなきゃ絶対成長しない。スポーツの楽しさをコーチや親が伝えることができれば、みんながやっていくのではないか。

○川淵さん(コメンテーター)
 スポーツに入るきっかけはファッションであれ何でもいい。そこで、いい指導者にめぐり会えば、そのスポーツを本当に好きになる。指導者や仲間が、スポーツを続けていけるかどうかの分かれ道になるのではないか。
 日本の指導者は、否定的で頭ごなしに怒鳴るが、外国の指導者は、本当にほめる、おだてる、勇気づけて選手の実力を認める。ほめることで、子どもは自立心と、次に頑張ろうという気持ちを持つようになる。そこが指導者の一番大事なところで、日本の子どもの指導で一番足りない部分だと思う。

○石原知事
 川淵さんは一流の選手、私はサッカーに関しては一流の愛好家だけど二流の選手でした。その頃の練習というのはむちゃくちゃで、先輩が蹴るゴロのボールをヘディングさせられ、やらないと怒られたし、いびられ、自分の体質と精神までが変わったなという感じがする。
 平等の原理というのは本当におかしな話で、きっかけはみんな平等でも結果が違ってくるのは当たり前だ。日頃サボっていてもうまい選手はレギュラーになってしまい、本当に悔しかったけども、「やっぱり人生だなあ」と思った。
 一つだけポジションが残ったときに、これで怪我をしてもいいからめちゃくちゃにタックルをかけてフォワードのボールを奪った。最後のメンバー発表で、「ライトハーフ、石原」と言われた時に、「やったあ」とは思わず「よし、人生ってこんなもんだな」と思った。あれは選挙よりつらい、非常にいい試練でした。

○川淵さん(コメンテーター)
 トルシエとジーコは好対照だ。トルシエは初めにシステムありきで、仕組みばかりをずっと教え、それなりのチーム力ができた。2002年のワールドカップ第2戦では、ロシアに日本は1対0で勝った。これは、第1戦の敗戦からどうしたら失点を防げるのかを選手たちが自分たちで考え、レベルアップした結果で、選手の考える力がなかったら、あの勝利はなかった。
 ジーコについて言えば、「自由にやりなさい」と言われ、選手がどうしていいのかわからないと。しかし、大体原則は決まっているのだから、どうしたらいいのかがわからなければ、監督に聞けばいいし、仲間同士で話し合いをすることで、初めてチームとして成り立っていくわけです。
 自由の裏には、必ず守らなければならない義務がある。逆に自由である上においては、守らなければならない義務が裏側にあるということを今のチームが覚えてきたら、世界のトップクラスのチームになるであろうことを私もジーコも信じてやっている。

○白石さん(コーディネーター)
 これから、都民の方からの発言に入ります。
 はじめは、西川光惠さんです。

○西川さん(都民)
 私の中一の息子と小四の娘は、2人とも学校の剣道部に入っている。寒稽古では、小学生から中・高・大学生、そして社会人から70歳、80歳になるOBやOGまでが一堂に集まり、先輩に稽古をつけてもらう。そこでは自然に目上の方を敬うという気持ちも育まれているようだ。寒稽古は寒い、眠いとつらいことばかりだが、やり遂げた時の達成感、充実感、感動は心を育てるのだと、親として実感している。感動があればあるほど、対処する力や人に対する温かさが自然に育まれ、人間関係を良くすると思う。
 知事は、東京都生涯学習文化財団発行の「Smile Sports」という冊子をご存じですか。この中には、都の施設で行われているスポーツ教室や大会の情報が満載で、今回は、松岡修造さんの「頑張れ!ということではなく、頑張っているね!」という、とても心に残るインタビューも掲載されているが、PRが足りないと感じる。学校で配付するとか、知事がマスコミに向けて紹介する方法もある。スポーツは「きっかけ」が大切で、そのきっかけづくりに知事の力を貸していただきたい。

○石原知事
 冊子よりも親が一人ひとり、その気になって自分の子どもにどういう方法でこらえ性を植えつけるかが大事だ。日本の古典武道のしきたりやあいさつの仕方というものは、肉体的なトレーニング以上のものを育ててくれると思うし、ほかのスポーツでも厳しいチームはしつけを厳しくやっている。
 私はこの頃の若いお母さんを、あまり信用できない。年寄りの言うことを聞かないしね。世の中へ出たら、いろいろな競争があることを教え、それに負けることがあっても、負けることで敗退してはいけない。敗北はあっても退くなということを教えるのは、父親の役目だが、最近は、父親を母親が立てない。若い母親が、「おまえ、そんなことをしたらお父さんみたいな人になるよ」という叱り方をするのはよくないし、父親も、日曜日には子どもと一緒にボールを蹴るとかキャッチボールをするとか、大人と子どもの肉体の違いみたいなものを見せることで、父親の存在感を示し、責任を果たせるのではないか。そういうきっかけに、私は親子でするスポーツはすごくいいと思う。

○内館さん(コメンテーター)
 私も本当にそう思う。「私の青空」というドラマで、孫の箸の使い方や根性のなさなど、細かいことを「バカヤロー」と言っておじいちゃんが怒る場面を書いた。「バカヤロー」と書いたというだけで、「内館牧子を降ろせ、あの言葉は人権侵害だ」という手紙が全国から来る。そう言ってくるのは、若いお母さんと40代半ばから60代半ば位の女の人が一番多かった。あまりに画一的な考え方に、女の人たちの意識改革が必要と感じる。
 自分の子どもを力士にする時でも、つらかったら帰っておいでねと言って送り出すので、兄弟子にゴツンと一発やられるとすぐ帰ってしまうようなところがある。北の湖がお母さんから「二度と戻ってくるな」と言われて送り出されたようなことが、今の世でも多少はあってもいいのではという気がしている。

○松岡さん(コメンテーター)
 僕も正直言って、知事と内館さんに賛成です。ジュニアの両親、特にお母さんは熱心ですね。子どもよりも自分が世界に行くと思って頑張っていて、子どものテニス技術の欠点を尋ねてくることもある。僕は絶対答えません。なぜなら、お母さんに教えているのではなく、子どもに教えているからで、質問があるなら、子どもを僕の目の前に連れてきてくれと。お母さんが全部やろうとするのでは自立しません。もっともっと失敗させろという感じがしますね。ですから、僕は子どもに対しても絶対答えは言わない、ヒントを教えます。その中で間違えたらいい、必ず学ぶんですから。

○川淵さん(コメンテーター)
 頭から怒るなと僕らはいつも言っているが、「バカヤロー、何してるんだ。何遍言ったらわかるんだ」と頭ごなしに言う指導者が結構多い。松岡さんの場合には本当に熱血指導というか、僕らが見ていても胸が「ジーン」とするような、子どものハートのつかみ方がすごくうまいんですね。叱るところは、きちっと叱る。しかし、おだてるというのか、その子の本質を見抜いていい方向に持っていけるという指導者が日本にはものすごく少ない。頭ごなしというのが大半で、そういうところをわれわれは変えていきたい。

○白石さん(コーディネーター)
 次は、佐藤宏さんです。

○佐藤さん(都民)
 私は、お父さんコーチとして、息子が通っている小学校のサッカーチームで、1年生から6年生まで、先生をサポートする形でコーチしている。教え子から、日本代表選手を出したいと思って、技術はないが情熱を持ってやっている。
 多摩川の河川敷は、ものすごく広い土地だが、グラウンド以外でドリブルやパス練習ができない。当然シュート練習もできない。なぜかというと、上流から河口にかけての河川敷全部が「サッカー、野球、ゴルフ、犬の放し飼いは禁止」となっているためだ。大人が決めた規制で、子どもたちの遊ぶ場所がなくなっている。子どもたちが遊べる場所を私たち大人がたくさんつくってあげればよいと思う。

○石原知事
 多摩川の河川敷は国が持っていて使わせないんですが、こんなものはどんどん使ったらいい。ただし、ゴルフをああいうところでやるのは非常に危ない。
 スペースがありながら使わせないところがいっぱいある。例えば、高速道路の下なども公団が持っている土地で、金網が張ってあって使わせない。スカッシュなどはテニスと違って少ないスペースでできますから、ああいうところの活用をどんどん考えたらいい。
 やはり、民間の人がそういう知恵を出して要求しませんと、お役人、特に国の役人は現場感覚が全くないからだめだ。だから、どんどん使ったらいい。使って問題になったら言ってください。国とケンカしてもぎとってきますから。

○白石さん(コーディネーター)
 河川敷を使わせないのは、何かあった時に国の管理責任を問われるためか。

○石原知事
 それもあるが、自分たちが持っている財産のつもりではないか。フェンスを張り、何にも使わずに空いている土地は、河川敷だけではなく、高速道路の下などにもある。そういうものは本当にばかばかしいと思う。こういうスペースが欲しいと思う人たちがどんどん使ったらいい。それで文句を言ったら、逆に何を言っているんだと。そういうことこそ、市民運動を起こしてスペースを獲得したらいい。

○川淵さん(コメンテーター)
 昔は空き地があれば、地主さんがいない間を見計らって遊んだが、今は空き地があっても子どもたちは遊ばない。そこが問題だと思う。高速道路の下というのも、スペースがもったいない、幾らでも使いようがあると思うので、ぜひ進めていただきたい。
 また、責任問題をあまりにも追求しすぎる。日本は何かあるとすぐ行政の責任にする。空き地には、ここで怪我をしても知事は責任を持たないという立て看板を立て、勝手に遊ぶなら遊べと。市民があまりにも行政に頼り過ぎるというか、行政の責任を追求し過ぎる。そこに問題があるのではないか。市民ももっと自立しないといけない。

○松岡さん(コメンテーター)
 行動するというのはすごく大切だ。現役を退いてからいろいろなイベントを実施しているが、ちょっと紙を張るとだめだとか、うるさく言われるが僕はやるんですね。「修造さん、何か言われたらどうします?」「謝ればいい」と言っている。そんなに被害を与えているわけではない。あとは、子どもたちが責任感を持ってやっていく。そして大切なのは、トップの人(知事)に話が行くかということです。知事がOKと言うと終わりですから、ぜひともこういう会をどんどん開いてほしい。

○内館さん(コメンテーター)
 とにかく、怪我とか事故を怖がり過ぎるんです。これは非常に危険な言い方かもしれないが、自分で体感しない限りは、その危なさがわからないこともある。私はやはり怪我や事故を怖がり過ぎて、何にもしなくて四角くなっているのはどうかなという気がしますし、今、知事が、俺がケンカしてやるからやれと言うんですから、どんどんやったらいいと思います。

○石原知事
 貴重なスポーツのためのスペースがあったらそこを使ったらいい。怒られたら、「おかしいじゃないか、俺たちの財産じゃないか」と。まして国が持っているんだったら国民のものじゃないか、俺たちは区民であり国民なんだ、何でこれを使っちゃいけないのかと。ゴルフは危ないですよ。だけど、子どものために使うのに文句があるのかと言ったら、それは必ず行政者が負けますから、そういうことはどんどんやったらいい。

○白石さん(コーディネーター)
 次は、渡辺 理恵さんです。

○渡辺さん(都民)
 公立中学校では、生徒や保護者の関心、期待が大きいにも関わらず、部活動は制度として「おまけ」のような扱いだ。教員の個人的な熱意に依存した不安定な状態で、いつも廃部の危機にある。中学生にとっての部活動は、地域とは全く別物で、学校単位で競うからこそ燃え、燃えるから意義があり、簡単に地域で部活動にとってかわることはできない。 部活動を充実するために、まず、公立中学校が行うべき活動として位置付け、教員は複数であれ顧問を分担する。そのために、適正規模、適正配置を推進する。
 次に、技術指導員を確保するため、都の教育委員会が外部指導員を登用し、教員の希望者と合わせて人材登録を行い、学校の要請を考慮して配置、指導員を派遣する。
 最後に運営体制は、顧問、技術指導員、保護者の三者の責任と役割を明確にして、教員個人に任せたり、校長先生に全部責任を押しつけるのではない体制をつくることにより、子どものスポーツの場を確保してはどうだろうか。また、地域スポーツと人的交流を含めて連携をとり、競合しないような体制も工夫していくべきと思う。

○白石さん(コーディネーター)
 顧問の先生を確保し、部活動を継続することが難しくなっていると聞くが。

○石原知事
 一方で、高齢でもかなり元気で、昔はこういう記録を持ったアスリートだったという民間の方もたくさんいる。そういう人たちに頼めばいろいろな形で交流ができるのではないか。例えば、東京都の教育委員会に諮って、そういうガイダンスを学校に出させるとともに一般の方にも情報提供を行い、我と思わん人を募るということでも、人員の獲得につながる。

○川淵さん(コメンテーター)
 学校でそういうことがきちんとできるのが一番望ましいが、すべてのスポーツで問題のある時期は中学校の3年間で、指導者も活動も中途半端で、日本のスポーツ界のネックとなっている。サッカー協会では、こういう状況をカバーするため、全国で3万人ぐらいいる指導者を、こういう時間帯なら指導できるということを登録させて、中学校の校長先生が認めればボランティアで指導できるというシステムを今構築中です。

○松岡さん(コメンテーター)
 やはり中学生の年齢が一番指導しにくいと思う。すごい情熱を持っている方が指導者であればよいが、中学生相手の場合、任されてやっているだけの中途半端な方では絶対にいい形でのコミュニケーションはとれないと思う。僕自身が、全国に行った時に、一番かちんとくるのは中学生で、ぼーっとしている。僕は「何か教えてほしければ、真剣に来てくれ」とその場で怒ってしまう。そういう意味では、言いたいことをしっかり情熱を持って言える先生じゃないとなかなか難しいのではないか。

○川淵さん(コメンテーター)
 結局、日本のスポーツ界は松岡さんみたいな人を何人育てるかということですよ。

○石原知事
 都立の中学校・高校を一貫教育にすることもひとつの手だてになるのではないか。中学生の年齢というのは一番中途半端で、一種の端境期で難しい年代だ。6年間一緒の仲間でいることになれば大分事情が違ってくると思うが。

○内館さん(コメンテーター)
 教育委員の立場から、一言。実は、部活動の問題が教育委員会の中で大きな話題となり、都内の中学校では、教師とボランティアの間がどういう現状になっているのかを全部調べて洗い出そうということになり、その結果がまもなく教育委員に示される予定となっている。

○川淵さん(コメンテーター)
 横浜F・マリノスは、地域の小学校、中学校の正規の授業にコーチが教えに行っている。技術もさることながら教え方がうまく、運動能力のあるなしにかかわらず生徒がサッカーの授業を楽しみにしている。先生方がすべてのスポーツに精通しているわけでもなく、すべてが技術的に高いわけでもないので、地域社会の技術的レベルの高い指導者を積極的に採用すればいい。運動能力のある者、ない者に関わらず、みんな一斉に同じようなことをやらされてスポーツ嫌いをつくっている現状をなくすためにも、ボランティアで本当の専門家を採用していく。もちろん本職であれば一番いいわけで、そういうことにFC東京や東京ヴェルディが当然協力すべきだと思っている。

○白石さん(コーディネーター)
 学校における部活動を継続していくためには、生徒もそれに入っていて楽しいし、技術が向上していくという仕組みが必要で、プロが指導する仕組みや地域の中に専門家を派遣していくような仕組みがあれば、学校の部活動はより楽しいものになっていくと感じる。

○白石さん(コーディネーター)
 最後は、栄久庵太郎さんです。

○栄久庵さん(都民)
 弟は、ラグビー部に所属していて、高校1年生から3年生の9月までラグビーに没頭していた。僕自身は3年生の時に、親や学校からの勉強への圧力や、自分自身も焦りを感じ、素直に部活動に熱中できなかった経験があり、弟がラグビーで培った精神力と肉体を駆使して睡眠時間を削りながら潔く受験勉強に励んでいる姿を見ると、インスパイアされる部分がある。
 受験生になると、親や学校が生徒以上に焦りを覚え出す。つまり、勉強しなさいという傾向で、子どもたちは3年生になったら部活動をやめて勉強の方に切り換えなさいということを言われる。僕は、文武両道ということで、必ずしも2つを100%こなすことではなく、2つを同時に行うことで2つとも充実させようという向上心やスポーツと勉強がプラス、プラスでお互いに支え合うという形が理想だと思う。
 そこで、都立高校に限らず高校で部活動を単位として認めれば、実質的な形で、もっともっと部活動、スポーツが盛んになっていくのではないかと思う。

○石原知事
 受験時代に部活動をやっているということが単位になるというのは大変おもしろい発想だが、部活動のスポーツを受験のカリキュラムに組み込んでくれるかどうか。半分プロ化した高校野球の一部の学校みたいなことになればまた別ですが、なかなか既存の受験のシステムがある限り、おっしゃることはよくわかるけれども、なかなか難しいのではないか。

○川淵さん(コメンテーター)
 いや、難しいですね。話は違うが、不易なものに対して、大人がきちっと教えていくことが大事で、われわれは自信を持って子どもたちを導いていく必要があるなと感じている。
 Jリーグは各クラブが各地で老人ホームを訪問している。子どもたちを一緒に連れて行き、一緒に遊ぶ姿を見て、お年寄りが喜ぶ。そこでのふれあいを通じて、世の中をきちんと教えてあげることもできる。
 内館さんも、知事も、今のお母さんは信用できないと。僕もそう思いますが、そういうお母さん方はあてにしないで、ボランティア活動に子どもたちを参加させる。あまり両親には期待せずに、周りの地域社会の中での活動を積極的にやることにより、子どもたちの心を変えていくということも大事かと思う。

○白石さん(コーディネーター)
 スポーツに子どもが参加したことをきっかけに、母親も開眼していくことができると感じる。

○内館さん(コメンテーター)
 この頃、最も良くない傾向になってきたなと思うのは、せせら笑うこと、何かする前に冷笑して、それで完結してしまい何もやらないということだ。そういう傾向を取り除くためには、部活動に単位を与えるぐらいの荒療治も確かに必要だという気もする。
 スポーツを通じて互いの痛みがわかったり、挫折することによって相手のことがわかったり、社会のことがわかったりということを、冷笑主義者たちは「くさい」と言って嫌うが、気持ちの中では、もっと燃えて生きてみたいというようなことを思っているのではないか。

○白石さん(コーディネーター)
 それでは、総括コメントを 

○松岡さん(コメンテーター)
 日本のスポーツ、子どもの教育に関して、本当に皆さんが情熱を持って、真剣に考えてくださっていることを感じた。僕が一番好きな言葉は、ちょうどウィンブルドンのベスト8のコートに入る時に叫んだ、「この一球は絶対無二の一球なり」という『エースをねらえ』に出てくる福田先生の言葉だ。今ここを生きろということで、僕は「一所懸命」という字は、一つのところに命をかけろと学んできた。過去とか未来とか考えれば考えるほど不安や怒り、そういうものがあるからこそ、今を一所懸命生きればいいということを感じた。まさに今日は、今ここを生きている人たちが一所懸命話し合いの場として、いい空気の流れができたのではないか。この情熱さえあれば、日本の子どもたち、そして日本の教育、スポーツが変わっていくと信じている。

○内館さん(コメンテーター)
 逆行しているように思われるかもしれないが、頭ごなしに言って縮み上がらせる経験も、子どもたちにとっては必要なことではないかという気がしている。
 大相撲に元横綱の三重ノ海が親方の武蔵川部屋がある。この部屋の稽古は、震え上がるほど怖い。ひと昔前みたいな稽古をやっている。親方は、朝早くから出てきて竹刀を持って座っている。絶対に笑わない。親方が決して遅刻もせずに、朝早くから出てきて、頭ごなし的なんですが、精いっぱいの稽古をつけている。弟子たちは、その親方がどれだけ力のある人かということをわかっていて敬っている。結局、若い人たちはコーチや監督や親方に力があれば必ず認めるということだ。おだてたり、認めたりということももちろん必要ですが、私は、時には縮み上がらせろという気がしている。

○川淵さん(コメンテーター)
 6歳以下の子どもたちをしっかり育てていくことが日本のすべての面でプラスになるという思いで、アンダーシックス(U−6)というプロジェクトをスタートさせている。
 その中で、「子どもの立場に立って物を考えろ」と言っている。子どもの立場に立って考えているようでも、実は大人の立場で物を考えていて、大人が子どもに対してこうあってほしいなということを、いかにも子どもの立場に立っているかのように錯覚している部分がある。
 先日、20学級ほど授業を見学してきたが、真ん中のレベルに内容を合わせて楽しく授業をしていた。学校に行くことが楽しいという一言だけで、小学校の教育はそちらの方に行き過ぎているなというのが実感です。子どもの立場で考えるという中で、甘やかしては絶対だめだと。その辺の線をしっかり引いた上で教育の現場というものを見ていく必要がある。

○石原知事
 私が若いお母さんを悪く言うのは、全部の若いお母さんがだめだというんじゃないんですよ。ただ、過保護が愛情だと勘違いすると家庭そのものも不幸になるし、先ほどのコンラッド・ローレンツの言葉ではないが、特に過保護で育った子ども、つまり、我慢をすることを強いられなかった子どもは、非常に不幸な弱い人間にしかなれないと思う。
 皆さん、これからの若い人たちに対していろいろな憂慮を抱えて、スポーツを通じてでも、何とか支え直してやりたいという気持ちが、われわれのアイデンティティとしてあると思うが、同時に、年配の方も若い方も、スポーツはわれわれ個人にとって大事な大事な人生の一つの糧です。
 私は、スカッシュ、テニス、スキューバダイビングなど、大概いつもスポーツしていますがスポーツというのはいいものです。自分でいろいろなシナリオを書きながら、自分で楽しいことができる。何しろ体を動かすというのはありがたいことで、人間の感性とか精神までが維持され、鍛えられていくので、子どもたちのためにも、お互いに幾ら年をとっても一生スポーツをしましょう。見るだけじゃだめ、やらなきゃ。どうもありがとうございました。