報道発表資料 [2015年7月掲載]
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〔別添〕

渋沢栄一氏旧蔵「松平定信」関係史料について

史料伝来の経緯について

 明治の大実業家、渋沢栄一は明治2年(1869)に設立された貧民救護施設・養育院をはじめ、道路・橋梁・墓地・ガスなど都市インフラ整備に係る公共事業にも多大な貢献をしましたが、それらに用いられた共有金が実は松平定信が創始した七分積金という、災害や流行病の際に備える救済用備蓄金に由来することを知り、その遺徳の顕彰に努めました。その中で多くの定信本人の史料も収集していったようです。
 これら渋沢栄一による松平定信関連コレクションの一部は、その後栄一の孫に当たる渋沢敬三から東京市養育院に寄贈されていました。しかし昭和41年に至り貴重な史料を長く保存していくために、東京都公文書館の前身である都政史料館に寄贈され、保存管理されてきました。

文人・定信の実像に迫る貴重な史料

 寛政改革を断行した老中として知られる松平定信は、歌人・国学者として著名な父・田安宗武の影響もあり、生涯に200部近くの著作を残しており、和歌や漢詩の他、絵画、古物研究など様々な分野に精通する文人大名でもありました。
 当館所蔵の「松平定信」関係史料には、白河藩の養子となる前年、25歳の時に描かれた絵画から、藩主引退後江戸の下屋敷(浴恩園)での隠居生活の中で創作された和歌や古典の書写までが幅広く含まれており、文化人としての定信の実像を見定めていく上で貴重なものといえます。

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関羽像 水鏡集