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平成27年1月5日更新

職員に対する新年あいさつ
Summary of Governor Masuzoe’s New Year Address to the TMG Employees

 平成27(2015)年1月5日(月曜)、職員に対し新年あいさつを行いました。

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戦後70年、先人たちの苦労に思いを馳せ

 皆さん、明けましておめでとうございます。
 今年は長い年末・年始でしたが、皆さん、それぞれに英気を養えたのではないでしょうか。私も、お正月に家族と、はとバスに乗りまして、スカイツリーの展望台にも登りました。また、隅田川の川下りを楽しみました。高いところから東京を見る、非常に快晴でですね、すべて見えました。それから、水辺から、今度、上を見る。この両方で東京の街並みを眺めてみたのですけれども、やっぱり素晴らしい街だなということを再認識させられました。また、外国のお客さんもたくさん来られておりましたので、そういう方々の立場にもなって、やっぱりこれは、おもてなしというのは重要だな、というふうに思いました。一方、行政の現場は24時間・365日、片時も休むことはできません。福祉・医療、警察、消防、交通、上下水道などの現場で、お正月に休めなかった人もいると思います。加えて年末には、エボラ出血熱の疑いのある患者が発生しました。幸い陰性で事なきを得ましたが、万一に備え多くの職員諸君が準備に奔走しました。本当に皆さん、大変ご苦労様でした。
 今年は、戦後70年、いわば戦後日本の古希とも言うべき節目の年であります。戦争という困難を乗り越え、平和な日本の礎を築いた先人たちの苦労に改めて思いを馳せました。今を生きる者として、私たちの子や孫たちの世代にオリンピック・パラリンピックのプラスのレガシーを遺し、日本全体を元気にする。自由で平和な社会、基本的人権が尊重される社会を守り、日本を世界からさらに尊敬される国にしていく。新年を迎えた今、その誓いを新たにいたしました。

21世紀を輝かしい世紀にする

 さて、「もう2015年か」というのが、私の正直な感想であります。この20年間、デフレが重くのしかかり、人々は暗い気持ちを抱えながら、生活してきました。しかし、社会には明るい兆しが見えてきました。私は「21世紀を輝かしい世紀にする」、この決意で都政運営に臨んでまいります。2020年まであと5年。この5年が、東京と日本を復活させるビッグチャンスであり、ラストチャンスであります。
 年末には、今後の都政の大方針となる長期ビジョンを発表いたしました。今日から来年度予算の査定が始まり、来月には予算を審議する都議会が始まります。気を引き締め、東京を、そして日本を元気にするため、都庁職員一丸となって、全力で仕事に邁進していきたいと思います。
 知事に就任して、もうすぐ1年が経ちます。去年は、補佐官制度の導入、政策企画局の創設など、風通しの悪くなった組織風土を払拭し、ガバナンスの確立に取り組んできました。
 東京都は、確実に強い組織に変わってきています。皆さんが目的意識を持って動くようになり、活発に議論をする風土も生まれ、皆さんからも新規の構想が出てくるようになりました。こうして良い方向に向かってきた時こそ長所を伸ばし、逆に悪い芽は早く摘まなければなりません。そういう意味からも、年頭に当たって、仕事の進め方について、皆さんに3点お願いしたいことがあります。

もっと風通しをよくせよ

 一つめは、もっともっと風通しをよくしたいということです。とりわけ、「悪い情報ほど早く上げて欲しい」ということであります。
 皆さんと仕事を進めていく中で、私のところに「うまくいっています」という耳触りの良い報告しか上がってこないとすれば、それこそが、実は本当の危機につながるということです。
 ルーティーンで要領よく仕事をこなせば失敗も少ないでしょう。しかし、新しいことに挑戦すれば失敗することもあります。失敗することよりも、それを隠すこと、あるいは都合の悪いことを見て見ぬふりすることの方が罪は重いのです。手遅れになって取り返しがつかなくなります。絶対にこういうことがないように、必要な情報が下から上へ、上がっていくようにしなければなりません。そういう組織でなければいけないと思います。
 東京都は一つのチームであります。チームとして、その組織でカバーするんだ。たとえ失敗してもチームでカバーする。こうして東京都の問題解決能力をさらに上げていきたいと思います。

東京都という枠に囚われないで、仕事をせよ

 二つめは、「東京都という枠に囚われないで、仕事をして欲しい」ということです。もちろん、治安、防災、福祉・医療、教育など地方自治の仕事をしっかりとやっていく。その上で、国家的、国際的問題が山積する今日、もっと広い視野で仕事を進めることが求められているのです。
 最近よく、私たちは、「東京一極集中」という批判に晒されます。これに対しては、しっかりと反論していかなければなりません。そういう中で、忘れてはならない大事なことがあります。我々のこの東京という都市は、決して東京都だけで成り立つものではないということです。
 年末に、福島の新しい知事の内堀知事が都庁にお越しになり、復興に対する東京都の支援に感謝を述べられました。私たちは、どんな時も東北の被災地のことを忘れてはなりません。とりわけ、電力の供給地であった福島、新潟の皆さんに感謝の気持ちを持つことを忘れないで欲しいと思います。食料の供給も地方に大きく依存しています。東京と地方が共に栄えるためにどうしたらいいのか、常にこのことを考えながら、日々の仕事に取り組んで欲しいと思います。
 同時に、我々には、国内だけでなく、世界にも目を向けることが求められています。国境を越えて、人が移動し、企業が自由に活動するボーダレスの時代であります。海外から、日本に、東京に投資をしてもらわなければ日本は元気になりません。そして、そこから生まれた富が、都民・国民の福祉を支え、医療を支え、教育を支えるのであります。だからこそ、東京が、たとえば国家戦略特区というツールを使って規制を緩和し、成長戦略を実行しなければなりません。
 昨年は、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さん、この3人の方がノーベル物理学賞を受賞するという明るいニュースがありました。光の3原色の一つである青色のLED開発によって、LEDの活用は劇的に広がり、社会は変わりました。東京都も今、社会の変革にチャレンジしています。それは、水素社会の実現です。先ほど、「電力の供給地の皆さんに感謝の気持ちを持つこと」、「東京が成長戦略を実行しないといけない」、二つのことを申し上げました。エネルギーの構造の大変革である水素社会を、東京都が、世界に先駆けて実現していくことは、資源小国・日本にとっても極めて大きな意味があるのです。
 水素社会はあくまで一例でありますが、我々は、世界の大都市との厳しい国際競争に勝ち抜くため、東京の価値を高め、日本を元気にする政策を全力で展開しなければなりません。東京国際金融センターや世界の創薬拠点作りなど、多くの構想を実現していきましょう。
 そして、それに加えて大事なことは、そのような東京の政策を正しく効果的に世界に発信することを、怠りなく進めなければならないということです。私は、そういう考えで都市外交を進め、各国の大使とも頻繁に会っています。昨年10月にロンドンに出張した際には、チャタムハウス(王立国際問題研究所)で、都知事が目指す東京の未来像について英語で講演しましたが、これは全世界に発信されました。それをネットで見たという駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディさんとも先月都庁で会談しました。大使とは、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会への協力をはじめ、東京やニューヨークのような大都市が抱える問題について意見交換をしました。
 「東京のリーダーが何を考え、東京の街をどう変えようとしているのか」、こういうメッセージも世界に発信していく。皆さんも一人ひとりが日々の仕事において常に世界を意識する。その積み重ねが、厳しい都市間競争の中で東京のプレゼンスを高め、世界一の都市・東京の実現にも繋がっていくと確信しております。
 東京だけでなく、日本全体、そして世界にも目を向ける。そういう仕事に取り組む上で世界に目を向ける、東京だけじゃない日本全体に目を向ける、これを徹底してもらいたいと思います。

オリンピック・パラリンピックは準備局だけの仕事ではない

 最後三つめは、「2020年大会は、オリンピック・パラリンピック準備局だけの仕事ではない。このことを肝に銘じて欲しい」ということであります。「自分の局の仕事ではない」などという傍観者的態度は、これは絶対に許されません。
 先ほども申し上げたように、2020年まであと5年しかありません。来月には大会開催基本計画もIOCに提出されます。
 東京都の組織は大きくて、職員数は16万5千人、分野も多岐にわたっています。警視庁や東京消防庁といった都民の安全・安心の確保を司る部門もあります。その東京都の中がバラバラならば、とても、組織委員会や政府、民間と力を合わせることなどできません。皆さんに申し上げたいのは、タコツボ型の発想で、自分の部局の組織の論理だけで物事を考えるのではなく、「どうしたら問題を克服できるか」、東京都自身の内側にある組織の壁を越え、オール東京都の力を発揮してもらいたいということであります。知恵を出すだけでなく、進んで仕事も引き受ける。このことを、オリンピック・パラリンピックに限らず、あらゆる仕事において徹底してもらいたいと思います。もちろん、必要な人も予算もつけて、努力も正当に評価するつもりであります。
 オリンピック・パラリンピック東京大会は国家的大事業です。東京都の全職員が全員一致して総力をあげないかぎり、その成功は不可能です。歴史的快挙に参加するのだという決意で、夢と希望に溢れた史上最高の大会を皆で成功させましょう。

50年後、100年後も誇れる仕事

 近代日本の歴史を振り返ると、幕末のペリー、1945年の敗戦時のマッカーサーと、外圧を引き金とする改革が日本の国のかたちを大きく変えました。5年後の2020年は、外圧とは少し違いますが、200ヵ国からの視線に晒され、東京の真価が問われます。
 1964年の東京オリンピック・パラリンピック大会は、日本を戦後復興から高度経済成長へと押し上げました。2020年の大会は、健康で明るい笑顔に溢れる成熟都市東京、そして、人々を幸せにする、平和で繁栄する日本を築き上げる礎とならなければなりません。
 しかし2020年は決してゴールではありません。2020年大会はあくまでも通過点であり、東京を世界一の街にするためにさらなる努力が必要です。そのために東京、そして国家百年の大計を考えるグランドデザインが不可欠なのであります。
 オリンピック・パラリンピックという、世紀の大イベントに携わること、東京という都市の歴史を変えていくことは、50年後、100年後も誇れる仕事であります。将来、皆さんのお子さんが、胸を張って「自分のお父さん、お母さんが、この大会を成功させたんだ、東京を変えたんだ」と言うことができるように、困難な局面も力を合わせて打開していこうではありませんか。
 近代日本が欧米列強によって植民地化されることなく、列強の一員として国際社会で重きをなすことができたのは、優秀な人材は、かつての敵であれ登用する寛大さがあったからです。五稜郭に籠もって明治新政府に対抗した榎本武揚は、新政府の激しい攻撃に遭い、降伏、死を覚悟します。その際に、オランダ留学中に入手した『海の国際法と外交(海律全書)』二巻を、兵火で焼失させるわけにはいかないとして、新政府で役立ててもらうように贈ります。これを受け取ったのが薩摩の陸軍参謀黒田了介(清隆)です。1869年(明治2年)の出来事です。
 この黒田清隆は、降伏し、獄につながれた武揚を釈放するために尽力します。榎本ほどの優秀な人材は、新生日本のために活用すべきだと考えたからです。そして、八方手を尽くして、3年後(1872年、明治5年)には出牢させ、開拓使の役人として北海道の探査を担当させます。1874年には、榎本は駐露特命全権公使、海軍中将に任命され、領土問題の処理に当たります。そして、ペテルブルクから帰りに、シベリアを経由して日本に帰るのですけれども、先般、私どもがアジネット21の総会をやったトムスク、実はこの街をも通って帰ったというのは、彼のシベリア日記に出ていました。私どもは、川魚でおもてなしを受け、木の実とキノコでおいしい食事をいただきましたけど、榎本武揚も140年前に同じものを食べたと書いてあって、ちょっと感激をいたしました。帰国後は、海軍卿、駐清国特命全権公使、初代逓信大臣、農商務大臣、文部大臣、外務大臣などを歴任し、1908年(明治41年)、73歳で亡くなるまで、国家、国民のために大きな仕事をします。
 福沢諭吉の「痩我慢の説」にあるように、いろいろな毀誉褒貶もありますけれども、私が今日、申し上げたかったのは、榎本武揚の他にも、勝海舟など、多くの旧徳川幕臣たちが、新生日本のために、過去の経緯にも係わらず、大いに貢献をしたということであります。大きな事を成し遂げようとするときには、オール・ジャパンで団結するほかはありません。このように、幕末明治の歴史を繙いてみると、都庁という組織中での部局間の争いなど、いかに取るに足らざるかということがよく分かります。お互いに寛容の心をもって、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会を成功させ、東京を世界一の街にするために、都庁をさらに風通しの良い、強靱な組織に変えていきましょう。
 新しい1年が始まりました。どうか健康にはくれぐれも注意をして、仕事に励んでいただきたいと思います。皆さん方の一層の奮起を期待して、私からの新年挨拶を終わります。みんなで頑張りましょう。

On Monday, January 5, 2015, the first day of work in the New Year, Governor Yoichi Masuzoe spoke to the Tokyo Metropolitan Government employees.
The following is a summary of his New Year Address.

Seventy years after the end of WWII, my thoughts go to our forefathers and their hardships

Happy New Year!
At the start of the New Year, I have renewed my commitment to leave the positive legacies of the Olympics and Paralympics to our children and grandchildren, thereby revitalizing Japan as a whole. I am also resolved to uphold our free and peaceful society, a society that respects fundamental human rights, and to make Japan a country that is even more respected by the world.

Making the 21st century a radiant one

The five years until 2020 present a huge chance, and the last chance, to revive Tokyo and Japan.
There are three points I would like you to uphold during your everyday work.

1. Create an atmosphere in the TMG where everyone can be more open

Rather than making mistakes, it is a more serious offence to hide mistakes or to pretend to not notice things that are inconvenient for you. The situation will just get worse to the point where it cannot be undone. To prevent this from happening, make the organization one in which all necessary information is reported without fail.

2. Engage in work with a broad prospective that looks beyond the framework of the TMG

Never forget the areas in the Tohoku region that were hit by the earthquake and tsunami, and never forget your feelings of appreciation to those in Fukushima and Niigata, which provided us with electricity. Engage in your everyday work while always thinking about what can be done for the prosperity of both Tokyo and the other parts of Japan.
Also, in order to win in the harsh competition with the other large cities of the world, we must raise the value of Tokyo and do everything in our power to implement policies that revitalize Japan. Do not neglect to effectively spread information about Tokyo to the world.

3. Keep in mind that preparations for the Olympics and Paralympics are not just the work of the 2020 Games Preparation Bureau

Fully demonstrate metropolitan government-wide efforts for the successful delivery of the 2020 Games. The same follows for all work you engage in, not just the Olympics and Paralympics.

Work that will be looked back on with pride 50 years and 100 years into the future

To be involved in hosting the Olympic and Paralympic Games—the event of the century—and transforming the metropolis of Tokyo are feats that will be looked back on with pride 50 years and 100 years from now. Let us work together at all times to find solutions, no matter how difficult the situation.