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平成29年(2017年)4月21日更新
東京都の西端に位置する檜原村と奥多摩町は、両町村あわせて、330.94平方キロメートルと都全域の約15%の広大な面積を有していますが、大部分が山林でおおわれ、平地が極端に少ない地域であり、主産業の林業が停滞し、第2次、第3次産業についても、企業の進出がほとんどみられません。
町村財政もぜい弱で、道路・医療など日常生活の基盤となる公共施設の整備状況も遅れがちであり、人口も減少しつづけています。
一方で、両町村は秩父多摩甲斐国立公園の豊かな自然に恵まれ、都心に近いオアシスとして多くの人々に親しまれています。また、山林は水源のかん養機能を果たしているとともに、奥多摩湖は都民の貴重な水がめとなっています。
こうした状況を踏まえ、都は、昭和46年度に、両町村について、山村振興法に基づく「振興山村」の地域指定を受け、山村振興計画を策定し、道路整備や給水施設整備等に一定の成果をあげました。
法改正により、平成17年度からは、山村振興計画の策定主体が市町村へ変更され、都は、その基礎となる山村振興基本方針を策定しています。
なお、両町村とも過疎地域自立促進特別措置法に基づく過疎地域の指定を受けており、都としても東京都過疎地域自立促進計画を策定して各種事業を実施しています。
このように、山村地域では山村振興法及び過疎地域自立促進特別措置法による振興策が実施されており、国からは国庫支出金、過疎債などの特別の財政措置が講じられています。都においても観光振興等を図るため都民の森や山のふるさと村などの建設を進めてきました。今後も、山村地域の振興に積極的に取り組んでいきます。
伊豆諸島は、太平洋上に点在する大小100余の島々からなり、美しい自然と豊かな資源に恵まれています。行政上ほぼ各島ごとに独立する2町6村で構成され、それぞれが独自の生活圏を形成しています。
こうした地理的な特殊事情からくる制約条件を改善し、それぞれの島が持つ特性を生かした活力ある地域社会をつくるため、日常生活上必要な施設や産業振興基盤の整備等各種の施策を総合的かつ計画的に実施し、居住環境の整備に努めています。
昭和28年、離島振興法が制定され、伊豆諸島地域が離島振興対策実施地域の指定を受けました。都では、この指定を受け、東京都離島振興計画を策定し、地域の振興を図ってきました。平成24年6月には、同法の6度目の改正・延長が行われ、都においても平成25年4月、新たに東京都離島振興計画(平成25~34年度)を策定しました。計画では、振興の方向として、1) 産業・観光、2) 安全・安心、3) 環境・エネルギー、4) 人材確保・育成、を重点的に推進し、各施策の実効性を高めるため、1) 各島の個性を生かした取組で目に見える成果を出す、2) 地域主体の継続的な取組で一歩ずつ前進する、3) 各島の連携による広域的な取組で事業成果を拡大する、の3つの視点に立って取組を実施することとしています。また、計画期間が終了する10年後には「定住促進と持続的発展による伊豆諸島の再生」を遂げていることを目標としています。
また、離島振興計画のほか、都は、地域経済の活性化、地域経済の基盤強化を目的とする「伊豆諸島・小笠原諸島地域力創造推進計画」の策定や過疎地域自立促進特別措置法に基づく「過疎地域自立促進計画」による各種事業の実施など、島の自立的発展を目指し総合的な施策を講じています。
さらに、平成元年10月、都及び9町村(伊豆諸島・小笠原諸島)は、共同で「財団法人東京都島しょ振興公社」を設立(平成23年に公益財団法人に移行)し、地域経済の発展及び住民福祉の向上を目指し、産業・観光振興等の諸事業を推進しています。
平成25年10月の台風26号接近に伴う大雨で土砂災害が発生し、甚大な被害の生じた大島に対し、都は全庁を挙げて支援を展開しています。平成25年度から平成28年度までの4年間で、がれきの島外運搬・処理、土砂災害対策、住宅確保、観光支援等の事業に総額約227億円を計上しました。
大島町では、平成26年9月に大島町復興計画を策定し、復興に向けた取組を進めています。今後も、都は大島町の取組を後押ししていきます。
平成12年6月からの噴火活動により全島避難していた三宅島は、平成17年2月1日をもって4年半に及ぶ避難生活が終わりました。都は、住宅、医療、教育などの生活関連施設や漁業施設などを整備するとともに、都独自の生活再建支援制度の創設など、島民の生活を支援してきました。今後は、村民生活の安定や産業・観光振興など三宅村自らによる中長期的な取り組みが重要であり、都として引き続き支援していきます。
小笠原諸島は、昭和19年に島民のほとんどが本土へ強制疎開させられ、戦後は米国の直接統治下にありましたが、昭和43年6月26日、わが国に復帰し、東京都小笠原村として発足しました。復帰当時は、戦火と23年余の空白により、社会基盤の大半は失われ、旧集落は山林原野となっていました。
そのため昭和44年12月、旧島民の帰島促進と小笠原諸島の復興を目的とした小笠原諸島復興特別措置法が5年間の時限立法として制定され、翌年には小笠原諸島復興計画(44~48年度)が決定されました。その後、特別措置法の改正・延長により、法の名称も小笠原諸島振興開発特別措置法となり、計画が順次策定され、交通施設整備、産業振興・観光開発、生活基盤施設整備、防災・国土保全等を実施してきました。
小笠原諸島振興開発計画(令和元年度~令和5年度)では、生活環境の整備・産業の振興による定住の促進、小笠原諸島内外の交通アクセスの整備による利便性の確保、世界自然遺産登録を踏まえた自然環境の保全・再生の3つの施策の方向の下、振興開発事業を進めていくことにより、住民生活の安定・福祉の向上、定住の促進を図り、小笠原諸島の自立的発展を目指していくこととしています。
項目 |
復興事業 |
振興事業 |
振興開発事業 |
振興開発事業 |
振興開発事業 |
合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
交通施設整備 |
12,581,367 |
13,538,898 |
19,054,386 |
8,321,944 |
12,968,292 |
66,464,887 |
産業振興・観光開発 |
3,942,161 |
7,585,312 |
12,997,168 |
10,145,883 |
8,929,533 |
43,600,057 |
生活基盤施設整備 |
9,200,127 |
6,792,952 |
10,478,109 |
9,901,633 |
8,991,198 |
45,364,019 |
防災・国土保全 |
713,414 |
1,567,856 |
973,365 |
626,925 |
242,474 |
4,124,034 |
その他 |
1,327,475 |
3,429,153 |
3,098,547 |
2,117,817 |
2,564,221 |
12,537,213 |
合計 |
27,764,544 |
32,914,171 |
46,601,575 |
31,114,202 |
33,695,718 |
172,090,210 |
平成14年度から予算項目上、「防災・国土保全」は、「生活基盤施設整備」に含まれて計上されている。
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